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鈴木氏はジーンズ、Tシャツ、スウェットシャツはアメリカが残した20世紀最大のアパレルの産物と考える。また子供の頃に着ていたVANのスウェットシャツの着心地のよさを肌の感覚として覚えている。鈴木氏が着ていたVANのスウェットシャツこそが、古きよき時代のアメリカで生まれ日本でも普及していた吊り編み機によるスウェットシャツであった。そしてそんな考えや幼少の頃の皮膚感覚から鈴木氏は吊り編み機によるスウェットシャツをアパレルメーカーに対して提案していくようになった。単純にそういうものが好きだったし、そういう好きなものをつきつめる仕事がしたい、と考えていた。
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1997年、98年の2年間のうちに鈴木氏はNewYorkを6回訪れた。ありきたりではあるがNewYorkは、エキサイティングで、クールで、ホットで、刺激を受け学ぶことが多い街だった、という。しかし同時に、1950年、60年代の古きよき時代のアメリカとして知っていたものがどんどん薄れていってることにも気がついた。その訪問で、何もかものスケールが大きなアメリカという国では一人のアジア人という存在でしかない自分を感じ、そしてどんどん捨てながら進化しているアメリカという国を感じて、伝統を重んじる文化を持つ日本人として世界に向けて発信できる何かをやらないといけないなあ、という決意めいたものを感じた。
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世界に対して一個人として立ち向かえる何かをやりたい。それが、吊り編み機による最高のスウェットシャツをつくる、ということであった。同時にそれは世界の中でも日本にわずかながら残っている吊り編み機という最高の機械、システムを継承するという壮大なチャレンジでもあった。
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ついに1999年に『LOOPWEELER』がスタートすることとなる。すぐに試作品作りを開始したが、本当に自分自身が納得できるものができるまでに様々な試行錯誤を繰り返した。それまでの各アパレルメーカー向けのものから脱却し、自分自身が信じる、感じる最高のものを、工場からも半ばあきれられつつ、売り上げの見込みもないスウェットシャツを作り続けた。そして4ヵ月後にようやくサンプルが完成した。ただ、手放しでは喜べない。売れるかどうかもわからないからだ。それを試すために鈴木氏はサンプルを手にロンドンへ出向いた。EVISU、DENIMEが日本のジーンズとして評価された街、ロンドンへスーツケースにスウェットシャツを詰め込んで単身乗り込んだのである。
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合計3度の渡英。厳しいバイヤーによる的確な指摘により、改良を加えつつ進化させ、3度目の訪問でついにセルブリッジズに認められたのであった。そして2000年についにセルブリッジズの店頭に、鈴木氏が信じて作ったスウェットシャツが並んだのであった。いいものを作って認められたい、というシンプルな信念のもと、『LOOPWEERE』を立ち上げ、信じるものを作り、ついにスウェットシャツの本来の姿を取り戻した。
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